この度の地震に際し、たくさんの温かいお心寄せを頂きまして心より感謝申し上げます。
同じく被災なさった皆様にはお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復旧とご安全をお祈り申し上げます。
おかげさまで皆様からの応援を頂きながら復興への道を歩むことができております。
その様子をレポートとして綴ってまいりますので、ご覧いただけましたら幸いです。
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●2024年7月5日、6日
二日間にわたり、能登町宇出津の「あばれ祭」が行われました。
数ヶ月前に開催が本決定すると、全壊になった建物の撤去や道路の修繕が一気に進み、街の凸凹はみるみると直っていきました。ただ、人々の心中は当日を迎えるまで、とても複雑なものだったと思います。生活安全がままならない方、地元を離れざるを得ない方、ひとりひとりが様々な事情を抱えています。毎年ご用意しているあばれ祭用の日本酒を、どのように準備したら良いものかと私たちも悩みました。
しかしながら宇出津の人々にとっての「あばれ祭」は、単なる楽しみではありません。能登から離れて暮らす人も仕事を休んで帰省をし、旧知の仲間とともにキリコを担ぎます。どんな人も等しく、地域と人々の繋がりを確かめ合い、生きている喜びを感じ合うような大切なひとときです。
当日を迎える大人達は待ちに待った様子で、この日ばかりは何がしの肩書きを脱ぎ、何も持たずにキリコや神輿を担ぎ続けます。次第に形のないものの大切さを目の当たりにするのでしょう。だからこそ、能登が好き。祭が生き甲斐だ。と心の底から言えるのだと思います。
子どももたちにとっても「あばれ祭」は特別なものです。宇出津地区に通う子ども達は、どの子も小さな頃から太鼓で祭り囃子を叩くことができます。保育所で先生に習い、お祭りごっことして街の人に披露する催しもあります。「あばれ祭」の本祭二日間の前には「こども祭」と呼ばれる、子どものための子どもによるキリコ祭りもあります。こちらも本祭同様二日間行われ、一日目は町内回り、二日目は広場に集合して太鼓を叩き合います。かくして祭り囃子は街中に鳴り響き、子ども達の胸に深く刻まれていきます。
今年の「あばれ祭」が無事に行えた奇跡は、全国からのご支援や応援があってこそのことです。無事に納めることができ、開催して良かったとみな口を揃えています。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
さて、数馬酒造での醸造課の面々の奮闘も記しておかねばなりません。社員の中で地元が宇出津の者は当然「あばれ祭」が優先です。そのため祭礼期間中の直営店の切り盛りは、町外出身の醸造課メンバーが中心となります。日頃慣れないレジやお客様対応にも、大変張り切ってくれて、お買い物をなさるお客様や、行き交う方々との交流がとても楽しかったそうです。
今年は夏場も酒造りが続きますから、醸造課にとっても良い時間となったようです。新入社員は初めての祭り対応でしたが、間近でその熱気を感じることが出来たと話してくれました。日本酒を交わす皆様の様子を伺い、また能登での酒造りの意義を感じられました。
●2024年7月17日
連日、蔵の修繕のための打ち合わせが続いています。酒造りを行う昭和蔵は鉄筋コンクリート造のため、建物被害は小さかったのですが、隣接している木造蔵は半壊となり、無事だった建物に寄りかかった状態です。また、それぞれの蔵の地盤がずれてしまっているので、地盤調査も必要となり、簡単な修繕ではありません。住宅が密集した地域ということもあり、異なる困難に直面するばかりで、道のりはなかなかに険しい様相です。
今年の長い梅雨で、木造蔵の崩落していた土壁が膨らみ、崩れ落ちました。雨風をしのぐために、二度目の応急処置をしました。この日はボランティアの方もお手伝いくださり、大変助かりました。
当初、ボランティアの方にお願いすることを申し訳なく、遠慮してしまう気持ちもあったのですが、平時の状態を知る私たちが片付けに着手すると精神的負担が大きいことも身をもって知りました。有り難くお胸を借りようと少しずつ心境も変化しています。
それにしても改修が完了するまでの期間、木造建物がもつのか不安がよぎります。また何時と分からない地震がくるやもしれません。能登ではそう思っている方がほとんどだと思います。やはり全体としてなかなか復旧さえも思うように進んでいないのが実状です。
●2024年8月9日
甑倒し(こしきだおし)を迎えました。
「甑倒し」は今年の蒸し米の作業を終えて、片付けをするために甑を倒すことに由来し、酒造りのフィナーレに向けたひとつの区切りを意味します。
能登半島地震によって1月から3月まで酒造りが中断し、酒造りの最盛期であるはずの日々は失われました。代わりに片付け作業に追われる3ヶ月間を過ごします。3月12日に断水が解消されると、4月に酒造りを再開させました。本来であれば酒造りを終えている時期でしたが、そこから4ヶ月余り製造を続けてきました。
同時に、県内外の他の酒蔵様に委託醸造をお願いし、皆様のご支援を頂きながら、能登の農家さんらから仕入れたお米を全量日本酒にすることが叶います。
ようやく今年度の酒造りのゴールテープが見えてきました。皆様からの温かいご支援や応援のおかげで、ここまで奮闘することが出来ました。言葉にならない感謝とともに、能登の日本酒を絶やさぬ思いを強めています。
被災後から綴ってまいりました「能登半島地震復興レポート」は、今回をもって一区切りとさせていただきます。今後は不定期になりますが、蔵の修繕工事などが進みましたらレポートいたします。
寸断された酒造りの再開を目指して、被災から8カ月間走り続けてきました。おかげさまで、震災当時は思いも寄らなかった未来に、今こうして立てている幸せを嚙みしめ、皆様にここまで連れてきていただいたことに、感謝の念が堪えません。心から御礼申し上げます。
感謝を原動力に、私たちはこれからも能登で醸しのものづくりを続けていきます。これからも日本酒をお楽しみいただき、応援いただけますと大変有り難く存じます。